日本を代表する故郷、会津若松に来ました!(≧口≦)ノ 見て下さいのどかな風景! 猪苗代湖のほとりに広がる農村地帯です。
ここは野口英世が生まれた場所らしく、 当時の様子をそのまま保存してある地域です。 この辺りは昔の農村風景が何処までも続いています。 多くの道祖神やお地蔵様などが残っていて、会津地方の振興深さを物語っています。
---------------------------------------------- さて、 泳ぎ終わったら場所を会津市内に移して観光名所めぐりです。 ここは飯盛山。あの白虎隊が自刃した場所です。 歴史に興味がある人は以下をどうぞ。(ノ´Д`)ノ *写真だけ見たい人はすっ飛ばしてくださいね(笑) ---------------------かんたん白虎隊史------------------------ ――幕末 西の薩摩/長州より始まった維新の火種は次第に燃え広がりを見せ、 千年の都「京都」にてついに幕府軍と衝突しました。 会津藩は「京都守護職」を幕府より命じられると、 あの新撰組と共に維新志士達を相手に戦いました。 しかし慶応3年(1867)11月 鳥羽伏見の戦いで幕府軍は薩摩・長州連合軍に敗れると、 その流れで江戸城は無血開城となってしまいます。 この時点で江戸幕府は消滅した事となり、その264年の歴史に幕を下ろしました。 また「薩摩・長州」を中心とした明治新政府が誕生しました。 ---------------------- しかし幕府方の残存勢力は東北地方へと撤退して維新志士改め「新政府軍」に徹底抗戦を試みます。 奥羽越列藩同盟をえて北越戦争・会津戦争が始まると、 戦力的に追い詰められた会津藩は当時まだ15〜17数歳の若者達を集めて白虎隊を結成しました。 白虎隊は会津を守るために善戦するも新政府軍相手に多勢に無勢、 戦いは劣勢を極め撤退を余儀なくされてしまいます。 ---------------------- 会津市中を占領した新政府軍の追っ手を逃れ、会津郊外の飯盛山まで撤退した白虎隊。 会津市中は戦火で包まれ、その炎の勢いのあまり「きっと会津城が落城した」と思い込んだ白虎隊士は、 自分達は藩主を護れなかったとして会津を見下ろす丘にて全員が自刃しました。 その後、結局会津城も篭城戦の末に落城して、新政府軍は勢いのままに本州全域を制圧します。 最後の残存勢力となった僅かな幕府軍と新撰組は津軽海峡を越えて 松前(北海道)の函館五稜郭にて最後の篭城戦を試みますが、 それでも新政府軍に敗れると幕府の残存勢力は全滅となります― 勝てば官軍。負ければ賊軍。 戊辰戦争の末に「賊軍」としての汚名を着せられた会津武士と白虎隊。 しかし最後まで忠義を守り抜いた「誠」の意志は賞賛に値するとされ、 今もその忠義に感動した多くの人々が白虎隊士の鎮魂の為に飯盛山へ足を運んでいます。 ------------------------------------------------------------
道 が 無 く な っ た よ ! マジデー(ノД`) 仕方なくバックで後退です〜〜(ノ´Д`)ノ (地図に載っている道が無いなんて人生で初めてですよ!(笑) 流石は会津、よそ者にキビシイ国…(ノД`) ------------------------------------------------------------ 大変な道は回避して 安全な道を通りって今夜の宿につきました〜(ノ´Д`)ノ
今夜の宿は 「東山温泉郷」です!(≧口≦)ノ
わっ! 何かお祭やってる! たまたま温泉郷の夏祭りに 遭遇したみたいです。 ご覧のように→ 盆踊りが行われています。
その中でも現代風の曲にあわせて 若者が踊る催しが大人気で、 アレンジされた和風衣装を着込んだ方々が 元気に踊っています。 ヒゲのおっさん どっかの兄ちゃん 中学生の娘さん… ――ッ!(//▽//)
。゜(≧▽≦)゜。 ↑押す 絶対領域全開で魅せる 新感覚踊りィィィィァッ!(゚д゚) お兄さん達は インスピレエェェィィィィィションを 激しく増大ダッ!(゚∀゚)
ドルァァ━━━ヽ(ヽ(゚ヽ(゚∀ヽ(゚∀゚ヽ(゚∀゚)ノ゚∀゚)ノ∀゚)ノ゚)ノ)ノ━━━ァァッ!!!!
(治まるまでお待ち下さい…)
------------------------------------------------------------ そんなモエモエ夏祭りを見学した後は ゆっくりと温泉に入ってのんびりと過ごしましたとさ!ヽ(´ー`)ノ (後は帰っただけなので割愛します) 村崎さん所にも旅行記あります■